哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

自分と友達になることは可能か

思考実験的なこと。

 

10代の頃によく「自分がもう一人いれば最高の友達になるのにな」と思っていた。

20代では「自分が四人いれば最高のバンドが組めるのにな」と思っていた。

 

果たしてそれは真実だろうか。

 

「もう一人の自分」という設定が非常に難しい。

双子とは違うのだから、それは他人である必要がある。

 

ちなみに僕には妹がいる。

一度髪型が似ていた時に双子と間違えられた。

それほど顔が似ているはずなんだけど、僕には全くそうは思えない。

 

見た目のかけ離れていない、勉強も運動能力もほぼ同じで趣味が同じ他人。

 

そいつとは親友になるのだろうか。

 

 

今日考えた結論は「ならない」だ。

 

なぜかというと、人には必ず「嫌な部分」がある。

その嫌な部分は似てようが似てまいが嫌なのだ。

むしろ似ているともっと嫌かもしれない。

 

同族嫌悪という言葉がある。

実が自分が嫌いな人っていうのは似ている人なのだそうだ。

自分の持っている影の部分、負の部分は自分では認識しているけど普段は隠している。

しかし、自分とほぼ同じならその負の部分が見えてしまうと思う。

 

理解できていると言ってもいいかもしれない。

 

ちょっとした愛想笑いや嘘は生活の上で避けて通れないものだ。

(極力しないようにしたいと思ってはいるが)

その愛想や嘘を自分に向けられた時その心情が伝わってきてしまう。

きっと、ひしひしと。

 

双子はこれとは事情が違う。

僕には兄もいるのだがすこぶる仲が悪い。

いや、仲が悪いんじゃなくて、僕らは兄弟なんだ。

排除も出来なければ否定もできない。

できることといえば自分の部屋へ逃げ込むか、喧嘩するぐらいのものだ。

今ではたまにしか会わない。

 

だから、家族以外でってのはポイントだ。

 

 

つまり「他人の気持ちはわからない方がいい関係でいられる」と思う。

究極な話、自分の考えてることが他人に聞こえてしまっていたら仲良くなってくれる人なんていない。

つまり「サトラレ」的な状況は最悪なのである。

 

人が動物と仲良くやっていけるのは動物が喋らないからだ。

もし動物がしゃべりだしたら絶対に仲良くならないと思う。

人間は話せるけれどもそれを的確に表現しないからこそまだ通じ合えているのだと思う。

 

「口は災いの元」だ。

 

他人とはわかり会わなくていい。

否、他人とは分かり合えないままでいい。

 

 

余談だが、兄弟は仲が悪くなるようにできているそうだ。

それは血を遠くへ運ぶためらしい。

だから仲の良かった兄弟も年をとるにつれ悪くなっていく。

逆に姉妹はどんどん仲が良くなっていくそうだ。

それは遠くの血を集めるためらしい。

 

人の遺伝の場合、父と母の遺伝子の正常な方をとる。

無性生殖(単体の生物から新たな個体が誕生する)場合は元の遺伝子をそっくりそのまま引き継ぐ。

だから何か負傷している遺伝子があった場合それも受け継ぐのだ。

しかし、人のように有性生殖(オスとメスの間に新たな個体が誕生する)場合は二つの遺伝子から損傷してない方を選べるため強い子孫繁栄が可能だ。

 

なので近い遺伝子よりも遠い遺伝子との間の方がより強い個体が生まれる。

そのため、兄弟は仲が悪くなって遠くですみ、姉妹はより遠くの遺伝子を持ってくるために仲良くなっていくのだそうだ。

 

と、何かの本で読んだ。

 

僕らに仕組まれたシステムなのだとしたら、僕らはほとんど自我では行動していないのかもしれない。