哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

生きているだけ

生きているだけで太る。
これは完全に現代病だ。
幸せすぎて何も見えていない。

というか、みんな幸せなんか見えなくていいんだ。
携帯電話の画面さえ見えていれば。

僕の結構携帯を使う。
機械が好きだし、新しい物が好きだ。
あとチケットの予約を逃したくないし。
友達からの連絡も逃したくない。

ただ。

携帯電話を握っていない時間に僕は考える。
考え始めることが自然と出来る。

考えたくない、という時にはいい物だ。
思考停止は楽に複雑な世界を忘れさせてくれる。

でも、だから誰と話しても同じことしか聞こえてこない。
だれか有名な人が書いたもっともらしい文章を、なんか正義が担がれたような文章を
共有して、個人的な考えが無くなっている。

正論反対。
なんか最近、正論と言う銃口を突きつけられて、おまけに口も縛られて
手には携帯を持たされて「ほら、つぶやけよ。世界の平和のために」と脅されている。
そんな感覚がする。

ロック音楽不要な時代。
革命不要な時代。
新しさ不要な時代。


僕は小さな殻から世界を見つめて、自分の中の悪党みたいな思考を正そうとしている。
間違っているのはどっちだ。
どっちとは、何対何だ。

僕が戦っているのは、幸せを手に入れそうなときに何か(その状況)が「まてよ、これは罠か?」
みたいにやってくるアレとだ。
目の前に落ちていた幸運を疑いなくつまもうと出来ない世界なんて。
日常を愛でるだけの人生なんて、僕はまったく送りたいと思わない。