哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

過去の設計

20歳くらいのとき、僕が設計した未来は「ミュージシャン」でしかなかった。
そこには収入の希望はなかったが名声の希望はあった。

つまり、どこに住みながらどんな活動をしてどのくらいの収入でどのくらいの生活をしたいか。
そんなことは一切頭になかった。

バンドやって、ツアーして、CD出せて、ご飯が食べれればと思っていた。

なるようになるさではなく、知識が少なかったのだ。


もちろん今でもその第一目標は変わらないのだが。
時代、技術、方法などを見極めていかないと後手後手になる。

その反面、いい音楽さえ作ればいいはずだ。
とも思っている。


「今はこんな音楽は売れない」
なんてことはない。
メタルだってハードコアだってテクノだって、いい音楽なら必ず売れる。



話を戻して。
20代に到達すべき場所は半分達成した感じだ。
だから30代ではどうしようか。

より具体的に、立体的に設計できる今。
でもお金や時間といった制限も以前より頑丈さを増す。

これは前回も言った「チャレンジ」の問題だ。

実はお金と時間ってのは人間の作り出した物だ。
自分で自分に足かせをはめているような感じだ。

世間体や周りの目もそれに匹敵する。


より具体的に言うと。
まずは二択。

①どこに住みたいか
①なんの仕事がしたか

だ。両方①なのはどちらを優先してもいいということだ。

アメリカに住みたいのならアメリカでどんな仕事が出来るか考えればいいし、教師になりたいなら都会の教師か田舎の教師かを考えたりしながら住む場所を決めればいい。

日本人は引っ越しにストレスを感じる民族なので「どこに住むか」を考えるとしんどくなりそうだが、人生で5年くらい冒険してもいいじゃないか。
外国人と結婚してもいいし、フランス語を覚えたっていい。
子供を帰国子女にしてもとから二カ国語はなせたりしたらいいじゃないか。


逆に、今の気に入った家でひたすらこもるのもいい。
作家になりたいなら仕事しながらせっせと打ち込めばいいし。


僕は日本がすごく好きだが、限界も感じている。
好き故に改善点ばかり見つかるような感じだ。


今日はひとまず部屋を掃除して設計の準備をする。