哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

クラシックとロック

気持ちを伝える話です。

クラシックの音楽の気持ちが伝わる方式を考えてみた。

徹底した練習と曲の理解

徹底した練習で見えてくる作曲家の意図やイメージ

正確な演奏(作曲者の意図に忠実)と複数人数による同時演奏(相乗効果)に指揮者の意図(テンポや間)をぴったり合わせることによるキメの細かい音楽(心)の再現

デビットフィンチャーの映画のように完璧を求める側への探求が綺麗な球を作り出す。
写実的で写真の様な感じですね。

ロックだとちょっと違います。

心に近い演奏を見つけるための試行錯誤

その日その日に正直なバンドの演奏の再現

余白を残すことによる不本意な気持ちの隙間の露呈が観客に伝わる

クラシックが繰り返しの練習なのに対してロックは心の再現への探求からスタートする。
その後クラシックは心の再現を目指すのだが、ロックはそれの正確さを探す。


伝わってますか?


つまりお互い逆に進んでいるんです。

クラシックは正確な演奏技術→心の再現のための探求と技術から心に行くのに対し。
ロックは心の再現→正確な演奏技術と心から技術へ進む。

ゆえにクラシックは心の探求をするために練習に膨大な時間を費やす。
ロックは心の探求に膨大な時間を費やす。

費やしている時間は同じだと思います。

よく「バンドマンはなぜあまり練習しないんだ」みたいな文章を読む。
確かに練習が少なくてライブでのミスも多い。
でも、心の探求に費やしている時間は膨大だ。

探求が行きすぎて酒飲むしかなくなったり薬やったり死んだりする。

ロックがだらけてる様に見えるだろう、実際ダラけてもいるがクラシック奏者でだらけてる人だっているはずだ。
バンドマンで練習の鬼だっていくらでもいる。


心の探求は大変だ、磨り減るし嫌になるし辞めたくもなる。
でもすり減ればすり減るほどいい曲ができる。

すり減ってない時は曲なんてできない。


僕たちは気がふれるほど悲しい歌が好きなんだ。



もう一つだけ。

少年少女の合唱団の歌で泣ける時がある。
歌詞の内容は理解できていないはずなのに大勢の声になると無知が束になって心に入り込んでくる。
細かい泡の集まりに心が覆われる様な感覚だ。
鋭さではなく暖かさで泣ける。
一人のボーカリストの歌で泣けるのはその歌詞を心の中まで理解(自己解釈でもある)して一本の鋭い棘の様に心に突き刺さって泣ける。

同じ曲で同じく涙を流すのだけど、こみ上げる場所が違う。