文字にすると気持ちを消化できる。
これは昔から言われてきたことだ。
日記をつけることで自分を客観視できる。
冷静になれる。
僕は曲を作ります、そして歌詞を書きます。
この「歌詞を書く」という作業は気持ちの消化に繋がるわけです。
それが歌になり、残っていく。
だけど日記を書くことで事前に消化できてしまうといざ歌詞を書くって時に困る。
何も出てこないこともある。
一度消化した物を持ち出すことは容易ではない。
だから僕は曲を作るゾーン(今)は思想的な日記を書かない。
それは歌詞として消化しているからだ。
日記を書いてしまうと歌詞がかけない。
でも、日記を書いているときが一番枠や土台に囚われていないので良かったりする。
ちなみにここで言う日記はブログのことだ。
手書きの日記では人にさらしていない点であまり消化になっていない。
自己消化であり、表現消化ではない。
表現消化してしまうとそれはもう戻すことはできない。
ので、日記は手書きに限る。
僕には表現したいという欲求がない。
「感動させたい」=「誉められたい」
なのだ。
表現というのは自己解決できてしまう。