哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

お腹いっぱい

「これは体にいい」「これは実は体に悪い」論に飽きた。
かわいい猫にも飽きた。
自己中心的他批判にも飽きた。

進化は露出ではないし、意見は表現ではない。

近代開花した全人類評価性社会は行き詰まりを見せる。
意見共有がただの主張の排泄になった今、次に来るのは沈黙以外の何かだろう。


FACEBOOKでよく流れてくるかわいい猫の動画。
見たいよ、そりゃかわいいんだろうに。
でもそれは泣ける映画を見て泣くようなもんであって、結果を知った上でそれに時間を費やしたくないんだ。
確かにかわいいし、確かに癒されるとしても。



最近牛乳は体に悪いらしい。
シャワーの水は髪を傷めるらしいし。
予防注射は毒らし、いや、効くんだっけ?
携帯の電波は体に害、だったっけ?
1日2ℓの水を飲まなくちゃいけない?
あれ、テレビで目って悪くなるんじゃなかったっけ?
ナスは栄養がないんだっけ?


勝手にやってきて評価しないでいただきたい。



僕は誰も評価する立場にない。
アンケートやなんやで他を評価できる立場にあるのだろうか。

自己表現と意見はどこまで成立するのか。


このブログがコメントできないようになってるのは、僕が心底それを気にするからである。
高評価を得たくて書いてるわけではない。
気に入らない人はお願いだから来ないで欲しい。

評価を気にしだすと表現は終わると思う。
でも、評価無くして表現もない。
自己矛盾こそ人間なのかもしれない。
体を直そうとする力と自然に老いる力とのせめぎ合いだ。