純粋にベストを尽くすのはとても難しい。
今僕は新曲を発表しようと曲を作っていますが、上手くいかない。
曲作りなんてそんなもんですが。
どうも、期待に応えようとしてしまう。
過去に評価を得た自分の曲を参考にしてしまう。
過去や評価や自分を取っ払って新しいものを作るというのは至難の技だ。
ここで陥りがちなのが「才能が枯渇してしまった!」的感覚だ。
今まさにそう感じているのだが、違う。
特にとっては何曲分ものアイデアを出して出して出して、その結果たまに良いものができる。
だから、出して出して出すその原動力、ガソリン、ケツ叩きが欲しい。
結果、やめたら終わり、続けるのが大変という最終回答にたどり着く。
人気アーティストでも迷いまくっているアルバムもある。
そういうのを聞くと僕は安心する。
悩んでる人を見ると落ち着くし、失敗している人をみると安らぐ。
この感覚を掘り起こしたことがない人にとっては僕がクズのように思えるかもしれない。
中学生の時の道徳の時間に読んだ話ですごく共感できるものがあった。
それは主人公の女の子が交通事故で入院した時の話。
自分より重症の患者が搬送されると安心した、という話だった。
当時まだ「共感」を多く抱いてなかった僕には数少ない「良い」ではなく「共感」できる体験だった。
ただひねくれているだけかもしれないが、成功者や幸せ者の話はやっぱり面白くない。
苦労した話や大変だった経験の話は聞きたくなる。
話は変わるが。
僕はMacを使っている。
デザインがかっこいいからだ。
最近OSをYOSEMITEなるものにアップグレードしたのだが、ださい。
YOSEMITEという名前もださいし、デザインが丸く淡くほんわかしてしまった。
このパソコンが嫌いになりそうだ。
尖っててビカビカでビンビンくるデザインが好きだ。
誤字哀愁。