皆さんは「哲学」と聞いて何を思い浮かべるでしょう。
例えば「経営の哲学」というような本のタイトルが多いので「考え」や「思考」と思っている人がいるのではないでしょうか。
間違ってはいないけど、間違っています。(この考えが哲学)
あと「難しい」とか「難解」だと思っているのではないでしょうか。
それも間違ってないけど、間違っています。(この考えが哲学)
「それはAであってBでもある。
人生は限りなく自由だが、同時に限りなく不自由でもある。
子育てが楽しいが、同時に苦痛でもある。
テレビは有意義だが、同時に無意味でもある」
わかりやすく言うと「なんでだろう?」が哲学です。
なので子供は哲学者だと言えます。
「なんで?」が無くなった人を大人というのかもしれません。
もう1つ、哲学の面白いところは「0から考える」ことができる点です。
「なんで?」を突き詰めると0に行き着きます。
なぜスーツを着なくちゃいけないのか。
なぜ働かなくちゃいけないのか。
なぜお金が必要なのか。
なぜ買い物をするのか。
なぜ食べるのか。
なぜ生きるのか。
すると「スーツである必要はないな」と思ってきます。
最近僕は「面接にリクルートスーツでいかないと100%落とされるのか」と考えてみました。
たぶん100%ではないとは思います。
しかし、スーツを着ていないってだけで落とされるのには疑問を感じます。
もちろん「マナーを知ってる」「常識がある」「空気が読める」などの能力が欠如していると思われたから落とされるのかもしれません。
このように、0から考えるのは楽しいし、危険です。
そんな事を考えずに行きて行く方がよっぽど楽です。
そして哲学の大きな特徴は「会話の中で産まれる」という事です。
一人で考えているだけでは哲学とはなりません。
他人と意見を交わす事で哲学になります。
なので皆さんもたまに、思いがけず哲学トークをしている事があるのでしょう。
多かれ少なかれ(これもAないしBという哲学的考え)哲学しているんです。
例えば、なぜ服を着るのか。
これは大きな問題です。
他にも思考実験的な問いは非常に面白いです。
砂山問題。
テセウスの船。
私とは。
たとえば
「全能の神なら誰も持ち上げる事のできない重い石を作れる。
でも、誰も持ち上げれない石を作ったら神も持ち上げれないのだから神は全能じゃなくなる。」
という問題があります。
しかし、よく考えてください。
宇宙空間では浮いているので重さはないのです。
つまり全能の神は誰も持ち上げる事のできない重い石を作れる、そして持ち上げる必要がない。
はい、今日はここまで。