TETSUGAKUMANの挑戦的な日常

映画とか音楽とか自由とか。挑戦しながら生きていく。

自由と制限

愛するがゆえに僕らは守りに入ってしまう。

小さい頃から目玉焼きにはマヨネーズと醤油だと思ってきた。
全人類がそうだと思っていた。

しかし違った。

違いを受けいるのは大変だ。


当たり前のことにこそ疑問の余地がある。

例えば頭の洗い方。
濡らして、シャンプーをつけてぐしゃぐしゃして。

そうだと思ってるからそうとしか思えないのだが、違うかもしれない。
(コマーシャル的プロバガンダを除けば)

最近、信じていたものが違っていたというケースが多い。
学校で習ったことでさえ。

だから、じつはこうでした!に納得してしまうと同じスパイラルになる。


例えば
食べ物は残してはいけない。
これは僕の骨の髄まで沁みている。

だけど、痩せようとしている人がいて、大量の料理がそこにあって。
その人が食べかければ捨ててしまう料理だとして。
その人の腹八分目までで止めておけば、総合的な幸福度(とでも言おうか)は全てを食べるより大きくなるのではないか。

今冷蔵庫の中にあるものを全て食べるより、食べ過ぎない程度に食べてあとは捨てた方がいいのではないか。
自分の家だけで考えた場合買いすぎなのだからそこは工夫できる。

でも多くの食材を多く買えばスーパーと農家の収入は増える。
家では食べたい分だけ食べる。
残った食材は支援として送れないので捨てることになる。
でも農家もスーパーも家庭も、アンハッピーな人はいないんじゃないか?
それでも食べ物を捨てるのは良くないのか。
輸入した内の何割かを捨てている日本。
じゃあ輸入を減らしたら、相手国の収入は減る。



じゃあこういうのはどうだろう。
一家族あたりで買っていい食品の量を制限する。
それ以上買いたい場合には税金がかかる。
その税金は食料が不足している国への援助(お金を送るのではなく食料や技術提供などが望ましいと思う)に当てる。

こうすれば余計な買い物はしないし、余計に買い物する人は同時に(強制的に)援助することになる。


買う量に制限をかけるのは自由じゃない!
のであれば捨てるのも自由だ。


しかし
事態はじつはシンプルだ。
頑張って作った食べ物はちゃんと食べよう。
しっかりいただこう。
大事なのは総合的幸福度じゃなくて、気持ちだ。
買いすぎるな、しっかり食べろ。

金でしか回らない世界を終わらせろ。






僕は残さず食べる。
腹十一分目までは頑張る。