哲学MANの挑戦的な日常

意識高い系が自分には合ってる。

ドラえもん論「出会いと別れ」

僕は小さい頃からドラえもんの劇場版が好きだった。
高校生とかの時期は見なかったが今はまたよく見るようになった。

今日は「ドラえもんのび太の宇宙開拓史」を見たのでちょっと思うことを書いてみる。

はじめに
劇場版を時期ごとに振り分けたい。
1作目「恐竜」~18作目「ねじ巻き都市冒険記」までを初期(藤子F不二雄脚本群)
19作目「南海大冒険」~25作目「ワンニャン時空伝」を中期(岸間信明脚本群)
26作目「恐竜2006」~を新期(新声優群)とします。

新期は見てないし、中期は好きじゃないので、初期を中心に話して行きます。
(これについては次回詳しく書きます。)



まず、映画全編で描かれているのは「出会いと別れ」です。
ほとんどの場合偶然に出会い永遠の別れが訪れます。

つまり「出会いと別れ」によるのび太達の成長を描いてるのですが、大切なのは「出会いは偶然」で「別れは選択」というところです。
のび太は最後必ず自分の世界へ帰ることを選択し、名残惜しくも自分でその道を歩きます。
「また会えるよね」とのび太は言い「うん、きっと会えるよ」とドラえもんが言います。
でも2人とももう会えないだろうとは解っています。
もちろん別れなくては行けない状況なのですが、それを理解し選択するからこそのび太は最後「寂しく」はなりますが「悲しく」はなりません。



ここからは長い余談です。



実はほとんど全ての劇場版は言葉をしゃべれる生命体との出会いですが、1作目だけは恐竜ピー助との話です。
あとは進化した犬や地底人、ロボット、魔法使い、小人などです。

偶然の出会いを描かせたらドラえもんの右に出る作品はないでしょう。
次元が曲がって畳と宇宙船が繋がってしまったり、巨大な地下空洞を見つけたら地底人がいたり。
初期ではこの「出会い」のシーンが意味深だ。

「偶然」とはつまり予期せぬ客だったりもします。
そこには人間と距離を置きつつ自分たちの文明を築いていている人たち(面倒なので人と言います)がいて、実は我々の文明を平和的目的のため乗っ取るか破壊する計画を立てています。

そんな作戦の最中に無垢なのび太達と出会ってしまった良識に揺れる人たちが結局計画をあきらめ、それぞれの世界で生きて行こうと決意する話が多いです。

その最たるは「竜の騎士」

最後、篭城しての全面戦争になる珍しい例です。

あと「雲の王国」

話し合いにより解決します。


そのほか
(恐竜)ピー助との出会いと別れ「恐竜」
(宇宙人)ロップル君との出会いと別れ「宇宙開拓史」
(犬)ペコとの出会いと別れ「大魔境」
(海底人)エルとの出会いと別れ「海底鬼岩城」
(魔法使)満月美夜子との出会いと別れ「魔界大冒険」
(小人)パピとの出会いと別れ「宇宙小戦争」
などなど


この「出会いと別れ」の構図に当てはまらないのが
「ドラビアンナイト」しずかちゃんの救出。
「夢幻三剣士」魔王との対決。
とその後の作品です。


特にこの出会いと別れの中でも良い作品は
「鉄人兵団」
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リルルは最後自分の意志で別れ(消滅)を選択する。





だれの人生にも出てくる出会いと別れについて「悲しい」とか「辛い」という気持ちを「出会えてよかった」で優しく包むこの作品を見るとき、自分もこう感じれたらと思ってしまいます。