TETSUGAKUMANの挑戦的な日常

映画とか音楽とか自由とか。挑戦しながら生きていく。

悲しみの表現

悲しみの表現がしづらい時代である。

90年代の陰鬱とした時代「大人が信じられない」「未来が見えな」そんなものが皆の心にある事を承知でいたと思う。

00年代にそれが終幕すると思いきや、何も変わらなかった。
だからまだ「大人は信じられない」し「未来が見えない」

でも
もうそれ前提でいきていかなくてはいけなくなった。
だから「陰鬱」はおいといて楽しまないと!と、みんなが踊り始めた。

だから悲しみを表現しても「知ってるよ、でもそれ前提で楽しめよ」と言われてしまう。

だれもが共感できるはずの物は、もう共感の無駄になってしまった。

どこかではその感情が助けを求めているのに。

悲しみの表現がしづらい。


幸せになったからって悲しみが消えるとでも思っているのか。
僕らはいつまでも悲しいんだ。
そんな「前提」で楽しめなんて、俺にはできないね。

楽しむ必要はある。
でも悲しみを無視しちゃだめだ。